ジャージー牛と小国郷

昭和20年代後半
小国郷は山峡に細々と暮らす農民が多く、
収入源は米と赤牛、小国杉の山仕事だけでした。
そこで昭和32年に農家の生活の向上を目的に
オーストラリアより98頭のジャージー種の乳牛
が導入されました。
それは小国郷の地形がジャージー牛の飼育に
適していたこと、草資源の利用と牛乳生産の
利便性からが理由でしたが、当時の県は
ホルスタイン種の奨励を行っていた為、
ニーズに逆行するかたちでの導入でした。

ちなみに小国郷(ごう)とは歴史的につながりの
深い小国町と南小国町の現在の総称のことでこの
小国郷は九州のほぼ中央、標高500メートル程度の
阿蘇外輪山の連なる辺緑の山間地帯に位置しています。
また熊本県では最北端に位置し大分県と隣接しており
九州最大の筑後川の源流域となっております。

さて小国郷のジャージー酪農事業は町や農協など
地域ぐるみで今日まで取り組んできました。
そのシンボルが三共牧場です。
昭和36年に年間放牧による乳牛の専門牧場として
60ヘクタールの牧草地を造成して
出発したこの牧場は、昭和39年の
第三回全国農業祭で牧野改良日本一の栄誉を
射止め、以来牧野改良と放牧牧畜の先進的な
モデルとなりました。
現在はその役目を終え残念ながら閉鎖と
なっておりますが三共牧場で培った知識や
経験が今日の酪農に大きく影響し商品作りに
活かされていることは言うまでもありません。
牧野でくつろぐジャージー牛達

事業としては
昭和33年に当時の小国農協が牛乳処理工場を竣工し、
翌年から学校給食にジャージー牛乳の供給を始め、
昭和53年には輸送コスト削減のためにパック詰め施設を
立ち上げ、家庭への宅配事業を開始しました。
また「販売なくして生産なし」という言葉を具現化するために
百貨展や大手スーパーなどでの物産展やPR活動を行い、
「阿蘇小国ジャージー」のブランド化に取り組んできました。

このような歴史と取り組みの中で今日ようやく市場からの
需要が増え現在小国郷ではジャージー頭数約1200頭・
年間生産量4400トンとなり全国2位の生産地として
規模を誇るまでとなりました。
尚、ジャージー種のみでの生産地域としては全国的に
非常に珍しい取り組みといえます。

しかしながら
順風満帆で今日に至ったように思える小国郷の
ジャージー酪農事業ですが、昭和42年に1185頭を
数えたジャージー頭数も徐々に減り始め昭和52年には
全国的な牛乳の過剰供給のあおりを受けて683頭まで
落ち込みました。
現在では逆に全国的な牛乳消費低迷が課題となっており
打破するべく日々取り組みを行っているのが現状です。

そういった課題も多い世の中ですが我々が長い歴史と
共に取り組んできた阿蘇の自然と共存しながら多くの
皆様にジャージー牛乳のおいしさを伝えて行きたいと
いう考えには変わりありません。
多くの皆様が私どもの取り組みに共感していただき
ジャージー牛乳のおいしさを味わっていただけたら
この上ない幸せです。

ジャージー牛のこだわり

小国郷が、ジャージー牛にこだわり続ける理由。
こちらでは、ジャージー牛と一般の乳牛の比較に
よってこだわりの理由をご説明致します。

ホルスタインとジャージーの違い

ジャージー牛乳パックイメージ牛乳とジャージー乳の違い

生産者画像
ジャージー牛乳がもつ
豊富な栄養素、自然な甘み、
豊な風味は、小国郷が、
ジャージー種にこだわり続ける理由です。



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